先日転倒して骨折してからというもの、僕は日常を無意識に任せていてはいけないんじゃないか、もっと自分の行動全般を、例えば一挙手一投足に至るまで意識的に行うべきじゃないかと思いだした。
いや若者はいいんだ。ピョンピョン跳ねてもなんともないんだから。でも高齢者はふとしたきっかけで寝たきりなったり人の世話にならなければならなくなる危険性があるわけで。
それで頭に浮かんだのが「用心」という言葉だった。平安時代からある言葉だけど、この用心の他にも僕らの身の回りには親から言われたりして幼いときから身に付いている言葉がたくさんある。
思いつくままにあげてみると、転ばぬ先の杖とか、急(せ)いては事をし損じるとか、急がば回れとか、 安物買いの銭失いとか・・・。
そういった言葉の多くは最初に耳に入ったときにはなるほどなぁと思っても、あっという間に意識の関門を通過して甲子園球場の何倍もの広さがある無意識の倉庫の奥深くに仕舞い込まれてしまう。
意識の関門を通るときに通行手形をもらっているので、用があったら手形を使って意識の表面に再登場してもいいようなもんだけど、実際にはほとんど日の目を見ることはない。
日常生活でも「山田くん、焦っちゃいかんよ。急いては事をし損じると言うじゃないか」なんていう小津安二郎の映画にでも出てきそうな言葉は聞いたことがない。
でも例えばずっと昔に大津波があった場所に「ここより下に家を建てるな」という言い伝えや石碑がちゃんと残っていていつも意識の日の目を見るのを待っているように、言い古された言葉もたまには虫干しして、ポンポンとほこりをはたいてみれば思わぬ発見があるかもしれない。
そういった言葉の多くはことわざなんかに多いけど、僕は今回ちょっと思うところがあって犬棒カルタを取り上げてみたいと思う。怪我で当分カヤックに行けない暇つぶしみたいなものなので付き合ってくれる人にはとんだ迷惑だけど。
2026/7/30