2023年12月7日木曜日

岡田監督のアレ

 阪神タイガースがアレした。
僕はタイガースも含めて特に応援しているチームはないので岡田監督が優勝のことをアレという言葉に置き換えて使っていた理由はわからない。しかしかすかに耳に入ってくる情報では以前優勝しかけたときに彼がそれを口にしたために惜しくも優勝を逃してしまい、それ以後彼は二度と優勝という言葉を使わずアレと称してきたと。
以下野球のことをろくに知りもしないで勝手なことを書くのをお許しください。とりわけ阪神タイガースには熱烈なファンが多いのでアレなんですが。

想像するに監督というのはひょっとすると優勝ということをほとんど意識せずに仕事しているのではないか。もちろん優勝するに越したことはない。しかし監督としての仕事は選手の一人一人が理想的に仕事出来ること、そして彼らが最も力が発揮できるように調整しマネージメントすること、いやもちろん試合の時には勝つために全知全能で采配を振るうのだが、その場合も勝つためというよりもいかに点を取るか、いかに点を取られずにすむか、試合の流れの中で最も理想とすべき采配は何かに集中しているわけで、勝ちはその結果として付いてくる。優勝も結果として付いてくるものであって目標とすべきものではない。ただしそう言ってしまうとナンだ、監督には優勝に対する貪欲さや意気込みがないのかというふうに誤解される恐れがあるのであえて言わないが。

勝負師は勝ちを意識すると勘が狂う。だから周りからとやかく言われるとうるさいし、かといって何も言わないというわけにはいかない。で、アレが出てくる。
しかしアレというのは結構意味深で、コレでもソレでもないというのが面白い。「コレ」では近すぎる。これでは「優勝」と言うのとあまり変わらない。「ソレ」でもまだ近い。「アレ」だといい「遠さ加減」だ。さらに言えばアレという言葉には「厄介者」感がある。我々がアレという代名詞を使うのはどちらかというとちょっと遠ざけておきたいものに使う。例えば、
「アレが来たよ。とうとう」
「アレのせいでこんなことになった」
「アレとアレがああなっちゃったよ」
「アレさえなけりゃな・・・。」
「アレが来ないの・・・。」
「今日はアレの日だからダメ」
監督にとっても優勝というのは敬して遠ざけておきたいもの、やっかいな古女房、心の借金みたいなものだから、アレという表現はパイン飴のようにしっくりきたことだろう。

この、ちょっとやっかいなものをアレと表現するのは僕らの日常でも力を発揮する。
僕は最近はあまり車を運転しなくなったしACC(アダプティブクルーズコントロール)のおかげで勝手に車が前に進むのでアクセルを踏まなくて済むようになったが、ACCがなかったころは自分でアクセルとブレーキをコントロールするのでどうしても、少なくとも僕のような負けず嫌いな人間はついつい荒くれた運転をしてしまう。ACCを使わない場面では今でもふとした拍子に「荒くれココロ」が目を覚ます。そのときに「あ、今アレがやってきた」と考える。厄介者としての荒くれココロをアレと表現すると、むしろ走行車線をゆっくり気味に走ることで「反アレ」を導入し「アレ」を打ち消してくれる。これがまぁ結構有効で、最近はこの「アレ」と「反アレ」をよく使っている。
いやまぁどうでもいい話なんですが。