先日骨折をした。カヤックのトグルを右手で掴んで陸に引き上げようとしたのだが、岩場で足をすべらせて転倒。身体を支えようとした左の手首に激痛が走った。
小学校にあがってすぐにプールサイドで転倒して左肘骨折したことがあって、でもそのときはそれほど痛いと思わなかったが今回は目から火が出るほど痛かった。骨折ってこんなに痛かったのか。翌日の手術の後もさらに痛みが酷くて、左腕全体をアフリカゾウに踏まれているような(いや誇張じゃなくて本当に!)、少しマシになるとインドゾウ、その次がマントヒヒと、腕に乗ってくる動物は変われど身の置きどころのない痛みに身悶えて輾転反側。痛みは周期的にやってくる。ましになったかと思ってしばらくするとまた強烈な痛みがやってきて、今度はヒグマに左腕を甘噛されて振り回されているんじゃないかと、まあ、そういう凶暴な痛みも徐々に薄らいでなんとか今日を迎えることが出来た。
さてでも今日書きたかったのは痛みの話じゃなく用心について。
僕は10年近く前にメニエールになってそれからというもの難聴とめまいとの長い付き合いが続いている。もともと人の話を聞かないタイプなので難聴は苦痛ではない(不便だけど)が、めまいはやっかいだ。
常に目が回っているわけではないので幸い普通に生活できているが、ふとした拍子に、例えばつばを飲み込んだりゲップしたり、耳元で大きな音がしたり、そういった瞬間にクルッと目が回る。たぶん耳管の内圧の変化や聴覚刺激で内耳道内の蝸牛神経と前庭神経が電気的に混線してめまいを引き起こしているのだろうと想像している。
ま、それはともかくその手のヒョイッとした一瞬のめまいがクセ者で、これが原因でなにかに頭をぶつけたり足を滑らしたり転倒したりする。
だから以前「日常生活の冒険者たち」(リンク)という文章を書いたけど本当に気を付けなければならない。
今回の転倒骨折はめまいのせいじゃないけど、足を乗せる岩が苔でヌメっていることは以前から知っていたのに油断してしまったのだ。
それで今日頭に浮かんだのが「用心」という言葉。
用心っていつ頃から使われだした言葉なのだろう、そして本来の語義は?と調べてみたら
1. いつ頃から使われ始めたのか?
- 初出(平安時代初期): 記録に残る最も古い例(初出)は、平安時代の9世紀前半(835年頃)、空海の弟子たちが編纂した詩文集『性霊集(しょうりょうしゅう)』とされています。
- 武家社会への定着(鎌倉時代): 鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』(1181年の記述)などでは、敵の襲撃や刺客に備えるといった「警戒・防衛」の意味で盛んに使われるようになりました。
- 「火の用心」としての広がり(安土桃山〜江戸時代): 安土桃山時代、本多重次が妻へ送ったとされる有名な手紙「一筆啓上 火の用心…」や、江戸時代の防火のお触れなどを通じて、庶民の日常生活に「火の用心」というフレーズとともに深く浸透していきました。
2. 本来の語義と漢字の成り立ち
漢字をそのまま解釈すると「心を用いる(配る・使う)」となり、本来の語義は以下の通りです。
根本的な語義:「心づかい」「気配り」
本来は「周囲や物事に対して配慮し、心を砕くこと(意識を働かせること)」全般を指していました。
・本来の意味: 心づかい、配慮、意を払うこと、事前準備
・派生した意味: 万一の危険や災いに備えて注意を怠らないこと(警戒)
ということらしい(以上Gemini AIによる)。
「周囲や物事に対して配慮し、心を砕くこと(意識を働かせること)」
つまり無意識君に任せていた仕事を意識君にさせるということ。一挙手一投足を意識の管理下に置くということ。いや100%は無理だけど、なにか不測の事態が起きそうな場面や何か起きると取り返しのつかない事故に繋がりそうな場面では無意識君から仕事を取り上げて意識君に仕事をさせることが重要なのではないだろうか。
そういうわけで、今日の標語は用心。用心。常に用心。
2026/7/25