憎まれっ子の心の底には膝を抱えて泣いている小さな男の子がいる
読み人知らず
犬棒カルタの「に」は憎まれっ子世にはばかるです。
憎まれっ子は世の中にたくさんいます。こういったひとがなぜ社会的に成功し「世にはばか」ってしまうのか?
またこういったタイプの人は我々には思いも寄らないタイミングで犯罪を犯したり自死してしまったりすることがありますがそれはなぜなのか。
人格障害には「自己愛性人格障害」というジャンルがあります。
それは主に以下の三つの傾向があるとされます。
- 自分は特別という妄想
- 過剰な承認欲求
- 共感性の欠如
憎まれっ子は自分は特別だ、もっと褒められるべきだと思っているので鼻持ちならないし、共感性が欠如しているので嫌われる。
誰しも多少はこういう傾向を持っていると思うのですが、精神に破綻を来す可能性があるかどうかは妄想がどの程度関わっているかどうか。
それで思い出すのが精神科医の春日武彦氏が内田樹氏との対談で「人間の精神のアキレス腱(統合失調症などの前駆症状や、人間を不幸にする要素)」として
「こだわり」「プライド」「被害妄想(被害者意識)」
をあげておられ、確かこの順番でより事態は深刻だと述べておられたように思う。
人としての成長過程で無条件の愛に恵まれていなかったり、不当な扱いを受けて過剰なコンプレックスを持ってしまったり、あるいは逆に優れた人間になるべく親から過剰な刷り込みが行われたりすると、実際の自分よりもはるかに大きな「妄想としての自我」(オレ様は偉いんだ)を持ってしまうことがある。
こういったひとが愛や称賛に飢えているのは、「妄想としての巨大な」自我に見合った愛情や称賛を受けていないからだと感じているからであり、そこにこだわり、プライド、被害妄想が生まれてくる。
無条件の愛をもらえなかった個体は、愛を与えなかった側に問題があるのではなく、自分に愛される資格がなかったからではないかという自虐感を持つ。
その自虐感に堪えられないから、僕の巨大で偉大な自我、愛と称賛に値するこの自我(自分は特別という妄想)を、周りの人はぼんくらだから見えないのだ(過剰な承認欲求)。あいつらはぼんくらなのだから一顧だに値しない(共感性の欠如)と考える。
このとき自分の自我を妄想上の巨大な自我に見合う大きさにするために懸命に努力すれば、世間から称賛される偉大な人物になって「世にはばかる」だろう。
しかしもし努力を怠けたり努力が報われなかったりするとそれによる敗北感を打ち消すためや自分を慰めるための妄想はさらに巨大になり、それがあまりに巨大になると実際の自我とのギャップから来る矛盾や世間の評価との軋轢に耐えきれなくなり精神に破綻をきたしてしまったり、犯罪を犯してでも巨大な自我に追いつこうとしたり、不可能と感じて自死してしまったりする。
この言葉が犬棒カルタにまで取り上げられているということは、こういった種類の人格障害は昔から多かったし、実際その病理はポピュラーなものとして世間に受け入れられていた、というより知られていて注意喚起されていたということなのかもしれません。
いや僕の勝手な妄想ですが。
2026/8/3



