2018年3月24日土曜日

ブレイクスルーが遠い

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2月からボサノバギターを習っている。
はじめは意気込んで毎日弾いていたが腱鞘炎になりかけて今は適度に間を空けて弾くことにしている。60歳から何かを始めるというのは一事が万事この調子で、気持ちは前に進もうとするが必ず身体の方が反旗を翻す。

テキストは先生に勧められた「弾き語り&ソロで楽しむ!憧れのボサノヴァ・ギター名曲選」。
練習曲のPractice 1がつかえながらだけどなんとか弾けるようになったのがうれしい。

その練習の中でいつも感じていることがある。
例えば下の楽譜のFM7からB♭M7のコードチェンジがスムーズに出来ない。
コードとコードのあいだに生じる「間」を縮めるために繰り返し練習するが運指のたどたどしさはもちろん、間が縮まらないのだ。

それで思い出すのが小学校時代の話。
あるとき音楽の授業で教科書の課題曲を次の時間までにリコーダーで練習してきなさいという宿題が出た。それは結構難しい曲だったのでみんなは「こんなの吹けないよ」とボヤいたが、僕はちょっと挑戦してみようと思って家に帰ってからすぐに練習を始めた。
窓の外では雨が降っていて、僕は窓枠に座ってひたすらその曲を吹き続けたらかなりスムーズに吹けるようになった。

僕の敬愛する伊丹十三の「ヨーロッパ退屈日記」の「最終楽章」に次のような文章がある。
「東京に住むようになってからしばらくして、わたくしはふとした機会に思い立ってヴァイオリンを習い始めた。二十一歳であった。
嘗てバッハ気違いの弟が弾いてくれたアルマンドやジーグは半歳くらいで弾けるようになった。毎日、四時間も五時間も弾いた。それが二年くらい続いた。わたくしは自分の生涯の余暇を悉くヴァイオリンに捧げても惜しくない、と真剣に考えた。
わたくしは何人かの教師を渡り歩いたが、やはり最大の教師は、カール・フレッシュの「ヴァイオリン奏法全四巻」であった。この本にめぐりあっただけでも、わたくしはヴァイオリンを習った甲斐があると思っている。
この本によって、わたくしは論理的な物の考え方というものを学んだ。自分の欠点を分析してそれを単純な要素に分解し、その単純な要素を単純な練習方法で矯正する技術を学んだのである。
どんな疑問が起きようと、答えは必ずカール・フレッシュの中に見出すことができた。現実の教師たちはあまり役に立たなかったようである。」

僕がこの歳になってギターを習い始めたのはこのヨーロッパ退屈日記によるところが大きいが、「自分の欠点を分析してそれを単純な要素に分解し、その単純な要素を単純な練習方法で矯正する」というのは楽器の習得にとどまらず人生を生き抜いていく上で非常に重要な方法論だと思う。

そういうわけで僕はそれを信じて繰り返し練習するのだが、「ある日急に出来るようになるブレイクスルーポイント」は歳をとるとなかなかやってこないというのも、どうも事実のようだ。

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