2025年10月29日水曜日

KUMのシャープナー

 





いつ頃買ったのか記憶にない。大学受験の頃なら50年前かな?
不思議となくさずに今まで使ってきた。
ネットで調べるとこのシャープナー(KUM ONIT 400/5L)の素材はマグネシウム合金らしい(リンク)。マグネシウム合金は実用金属の中でも特に錆びやすく、表面に灰色の腐食層(酸化皮膜)が形成され、かつこの酸化皮膜はあまり強固ではなくて湿度や塩水にさらされると腐食が進むとのこと。

あらためてしみじみ眺めるととてもみすぼらしいので磨いてみることにした。


まずブレードを外してピカールで磨いてみたが日が暮れてしまうので耐水ペーパー(400番)で水研ぎして、最後にピカールで磨いた。
仕上がりはこんな感じ↓。







2時間ほどでピカピカになった。
磨くという行為は単純なようで奥が深い。
磨いているあいだいろんなことを考える。
今僕はカヤックでロールがうまくいかなくてスランプだが、禅の境地で(笑)磨いているうちに、そうだ、チカラづくで水と戦わず、もっと自然に、水と一体になって力を入れずに起き上がれるはずなのだ、なんてことを思いついたり。
面白い。





2025年10月21日火曜日

男の喜びの儚さ

 確か所さんが嫁さんの幸せが自分の幸せだみたいなことを言っていたと思うが、男性は相手を喜ばせることでしか幸せを感じることが出来ない生き物なのかもしれない。これは大昔から男性は外で狩りをして獲物を持って帰って家族を喜ばせたりしたことの名残だろうか。
夜の営みの時も多くの男性は女性をエクスタシーに導くことで喜びを得る。女性の感じている官能でようやく自分の官能が目を覚ますという構図になっている気がする。
多くの歴史上の出来事も、時代を大きく動かした男性の背後にはいつも女性の存在があったり(シーザーとアントニウスの背後のクレオパトラ)、あるいは男性より女性の方が大胆に歴史を動かしたり(玉木さんと高市さん)。
自分で幸せを感じれないことはないが、まさにその時でさえ「これって幸せなんだろうか」と疑問を感じている。自分の喜びに自信が持てないのだ。薄ら寒い不安。
対して女性は配偶者を失っても結構平気なひとが多そうだ。男性は配偶者を失うと、とたんにシュンとしてしまって生活が急にやさぐれて早々と死んでしまったりする。
実はこのことについては9年前にも別ブログで同じようなことを書いた(リンク)。そのときは男性は自前で欲望を作り出すことが出来ないのではないかと書いたが今回は喜びについて。まぁ似たようなものか。

2025/10/21



2025年10月3日金曜日

離魂病

岡本綺堂の中国怪奇小説集(光文社)には中国の古い逸話が多数収載されていてそのなかの一つにこんな話がある。タイトルは「離魂病」。

宋の時代にある女が帰宅したら夫が布団をかぶって寝ていた。そこへ召使がやってきて「旦那様が鏡を持ってくるようにおっしゃっています」という。女は、夫ならここにいるではないかと言って笑うと召使は驚いて走っていき主人にそれを告げた。夫は不思議に思い見に来るとたしかにそこに自分がいる。夫は寝ている自分に手を差し伸べ静かに撫でているとやがてその姿は消えてしまった。それからまもなくその夫は一種の病にかかって物の理屈も判らないようなぼんやりした人間になったという。

僕がこの手の本を好んで読むようになったのは南伸坊氏の影響で、上述の話も彼の「李白の月」(ちくま文庫)に「鏡の人」として収録されています。
伸坊氏は「仙人の壺」(新潮文庫)のまえがきで
中国の怪談には、奇妙なものが多い。読んだあとにポンとそこらに放っぽらかしにされるような気分です。
私は、この気分がことのほか好きで、そんなものばかり捜して読んできたようです。
と述べておられます。

上述のこの話も
〈起〉女が帰ってきたら夫が寝ている
〈承〉召使が夫の用事を女に告げるが夫はここにいると言って笑う
〈転〉やってきた夫が自分の姿を見て驚きそれを撫でていたら消えた
〈結〉夫が認知症になった
というふうに一応お話の体裁を保っていますが〈転〉と〈結〉があっけなくて拍子抜けする感は否めません。

この手の中国の怪奇な話では不思議な経験をした主人公が最後に大金持ちになるとか罰を受けて惨めな境遇に陥るとか生き返るとか悲惨な死に方をするといったパターンが多いのですが、この話では「物の理屈も判らないようなぼんやりした人間になった」というのはちょっと珍しい。
僕がひっかかったのはそのこと。これは現代で言えば認知症を指しているような気がする。つまりこの話はこの結末によってほかの荒唐無稽な話よりもリアルなのだ。結末で急にリアル。
さて、ではなぜ(少なくともこの話の中では)主人公は認知症になったのだろう。何かを失って認知症になるとしたらそれは記憶。すると消えていった自分というのは自分の中の記憶だろうか。静かに撫でているあいだ、夫は過去の記憶を懐かしく慈しんでいたのかもしれない。自分=記憶が急に消えるのではなく徐々に消えていったというのも失われていく記憶の消え方によく似ているし、夫が鏡を持ってくるように言ったのも「自分というもの」の記憶がぼやけてきたので確認したかったからではないかという気もする。

いやまぁそんなつまらない深堀りなんかせずに、こういった怪奇譚は純粋に奇妙な感じを味わうべきなんでしょうね。


2025年10月1日水曜日

10センチ先の未来

 いい天気の朝。昨日はまだ風邪が完全に治っていなかったのでカヤックは見送ったが今朝身体はなんともないし、今日は出合なぎさでカヤックの練習をしようと思い立った。今カーポートの棚にはカヤックを前後反対(舳先が奥)に置いている。そのままルーフレールに載せようとしたら船尾方向にずれ落ちそうになった。あわてて船を棚に戻して、それから車を少し前に移動し、もう一度船をルーフに載せた。いつもならこういった行程はもっと手を抜いてというか、つまらない方法を考えてその結果痛い目に遭うのだが、今日はなぜか丁寧。荷締めベルトも放り投げるのではなくドアを開けてドアステップに乗ってベルトの金具を船の向こうへ載せた。ベルトも捻れないように。多分この時かな、「10センチ先の未来」という言葉が頭に浮かんだのは。この言葉を思い浮かべながら作業すると自分の行為がとても丁寧になるのに気が付いた。

さて、僕は最近運転する時10m先だけ見ながら運転している。以前ならずっと遠方を見て、いろんな状況を頭に入れて近未来の運転スケジュールを思い描いていた。先行車や先々行車や、後続車や後々続車や、行く手の信号や、もちろん歩行者などを見ながら浮かぶ物語のなかを僕は走っている。卑近な例で言えば行く手の歩行者信号が赤になったらまもなく車道の信号も黄色になるのでスピードを上げたりする。つまり僕の運転はこういった信号や先行車たちとの関係で生まれる物語に支配されているわけだ。
さて、ここで問題が発生する。
物語に支配された運転は現実を無視する傾向にあるので、信号が赤になる前に渡ってしまおうという物語は他者の介入を拒否する。それによってしばしば悲惨な事故が発生するのだ。
長年車を運転していると、他車の挙動でその車が次にどういう行動を取るか予測できるようになる。もうすぐこっちの車線に入ってくるぞとか、もうすぐ無理な割り込みを仕掛けてくるぞとか。当然その予測は自分に様々な感情を誘発し、その感情に基づく物語は早めに車間を広げるとかイケズして車間を縮めるような行動を取らせる。それが良い予測行動なら良いのだが、こちらに気持ちの余裕がなかったりいらついていたりすると悪い予測行動を取ってしまう。
最近僕は本当にびくびくしながら運転している。トシのせいで反射神経が落ちたのもあるが、とにかく世界は危険に満ちている気がして怖くてしようがないのだ。それで僕は、まずは、もう物語で運転するのはやめようと決心した。とにかく目の前の現実だけを見て運転しよう。それで実行しているのが「10m先だけを見て運転する」という方法だ。
いやそれはむしろ危ないだろうと考えるのは当然だ。しかし10m先を見ている時、もっと遠くの視界の情報も実は頭に入っている。ただそれらは物語に参加しない。僕は10m先の物語だけを見ている。10m先以外の視覚情報をシャットアウトしているのではなく物語に参加させることをやめたのだ。車は日常より速いので10m先の未来は物語になる暇もなく過ぎ去っていく。10mより先の未来は過ぎ去るのに時間がかかるから油断すると物語を作り出すが、10mより先の視覚情報を意図的に物語作成から排除しているので、実質「無物語」の世界を走ることになる。
で、10センチ先の未来の話に戻る。これもいわば10センチ先より未来のことを物語に参加させないという方法だ。今目の前にあることだけに取り組む。過去や未来にとらわれず今だけを生きる。今だけを生きるというのは難しいが、10センチ先の未来はまたたくまに過ぎ去っていくので実質「無物語」の世界を生きることになるというわけだ。

「一寸先は闇」ということわざがある。一寸は約3センチ。3センチ先も見えないほどの深い闇という意味かと思っていたが、どうもこの言葉は距離ではなく時間の話らしい。つまり一瞬あとには何が起きるかわかりませんよと。一瞬ではなく一寸というのが面白い。3センチ先の未来は、10センチ先の未来よりもっと現実に近いだろう。

2025年9月29日月曜日

風邪をひきかけたら

 

令和7年9月28日(日)
朝起きたら寒気を感じたのでエアコンの暖房を入れてハイネックシャツを着て麻黄附子細辛湯を飲んだ。風邪か?さらに冬服を着込んだがどうも怪しい。まだ熱はないが慌てて熱めのお風呂を沸かして4~5分入浴し、例によって長いタワシ(こういうのリンク)で背中を重点的に身体全体をこすりまくって、赤剥けヒリヒリした状態で交感神経を活性化させるために熱い浴槽内で正拳突き1~2分。風呂から上がってよく身体を乾かしたあと厚着したまま寝床に入ったらじんわり発汗。昼には回復して普通に昼食。夜も早めに寝た。

令和7年9月29日(月)
すっかり元の体調に戻った。

2025/9/29


2025年9月14日日曜日

Forever flexible(いつまでも柔らかく)



Bob Dylanの曲にForever Youngという曲(リンク)がある。
ずっと若くいられるわけではないが最近僕が心がけているのは
柔らかくあること。
朝食を摂って緑内障の目薬をして、さて3分間目を閉じているあいだ暇なので体操をする。
その体操は自己流で、前屈したり後屈したり、側弯したり、体幹をねじったり、首も前屈後屈、側弯、回旋。
その多くの動きは脊柱の可動域を広げるためのもので、考えてみるとラジオ体操第一には上記の動きの多くが含まれている。

追記: 最初softと表現したがsoftは押さえると凹む方の柔らかさでした(笑)。




2025年8月29日金曜日

Grokよさらば

 


今朝PCを立ち上げたら「C:\Program・・・予期しないホストIDが検出されたため、操作は完了しませんでした」というアラートが出た。
Copilotに尋ねたらイベントビューアーをチェックするように言われたのでやってみたらソースVolsnapで「ユーザーが設定した制限値のためにシャドウ コピーの記憶域を拡張できなかったためにボリューム C: のシャドウ コピーが中止しました」とのこと。
このことを再度Copilotに尋ねたら「これは、Windowsが「シャドウ コピー(VSS)」というバックアップ用の一時領域を拡張しようとしたけれど、設定された上限に達していたために失敗したという意味です」と。
それで具体的にCドライブの一時領域を10GBに拡張する方法を教わったのでそのとおりやって再起動したら問題は消失した。

ちなみにGrokでも同じ質問をしたらVisual Studioというインストールしていないアプリが古いせいかもしれないという頓珍漢な返答があり、Visual Studioはインストールしていないと答えたが返事が要領を得ないので更にさきほどイベントビューアーで表示された内容を入力したらGrokは2時間以内に2つ以上の質問を受けつけません。もっと聞きたければ有料版をどうぞと。
うーん、Grokは結構愛用してきたけど最近返答が1分以上かかったり、返事が愛想なかったりするので今後はCopilotやGeminiに尋ねることにしよう。