2024年10月4日金曜日

この世に客に来たと思えば


今日ネットを見ていたら

此の世に客に來たと思へば何の苦もなし
朝夕の食事うまからずともほめて食ふべし
元來客の身なれば好嫌は申されまじ
今日の行をおくり子孫兄弟によく挨拶をして娑婆の御暇申すがよし

という言葉を見つけた。
なるほどこれは良い言葉だと思い誰の言葉かと思って調べると戦国武将伊達政宗の遺訓(五常訓)だという。ところがさらに調べてみると仙台図書館の記事に五常訓が正宗の作かどうかは疑問とある(リンク)。
ではこれは誰の言葉かというとその仙台図書館の記事によれば
好古漫録全十二巻、著者詳ならずに「閑通和尚座右銘」と題して

夫〔それ〕人は此世に客に来れりと思はば世話も苦労もなし。
心に叶ひたる食に向ひては能〔よき〕馳走と思ひ
心に叶わざる時も客なれば誉て(褒めて)喰ねばならず。
夏の暑さも客なればこらえねば成らず
冬の寒さも客なれば堪忍せねばならぬ。
兄弟子孫も猶以て相客なれば挨拶よく暮し
気にあはぬ事ありとも客なれば笑ひ
何事も心能くくらしあとに心残さず暇もうすべし。
父母に呼れて仮に客に来て心残さず帰る故(ふる)さと。
閑通和尚は何れの時、何れの処の人なるを知らず。

とのこと。上記をあえて意訳すれば
まぁそれにしてもひとというものはこの世にお客としてきただけだと思えばものごとは簡単になり無駄な苦労もしなくて済む。
好きな食べ物を出されれば喜んで食べればいいし
嫌いなものを出されても自分はただの客なのだから美味しいといって食べればいい
夏が暑い冬が寒いといっても自分は客人だから辛抱するしかないし
他人もみんなそれぞれお客だからたがいに愛想よくし
腹の立つことがあっても自分はここでは客だからと笑い
いい気分で過ごしてさっぱりと死ねばよい
わたしは呼ばれるまえの場所へスキップして帰りましょう
閑通和尚がいつごろのどこにいた人かは誰も知らない